大正8年から昭和42年
ここにヤマトヤの原点があった

小さな精肉販売、料理業からスタートし、
現在に至るまでふるさとの味にこだわった
様々なお菓子を提供してまいりました。
ここでは創業から50年に渡る果敢な挑戦の歴史と、
時代を越えて息づく私たちの熱き情熱をご紹介します。

設立当時の会社案内 昭和48年当時の寺町本店の風景

ヤマトヤ誕生

パイオニアスピリットに燃えて

大正8年 12月

創業

(故) 大竹藤太郎氏が個人企業として三条市一ノ町520番地 (寺町通り) に精肉販売及び料理業を開業

昭和1年 12月

移転

三条市一ノ町949番地に移転 (80平方米)

昭和9年 4月

店舗改築

当時としては珍しいモルタル三階建築とし、屋上庭園は夏季ビアホールとして解放

昭和13年 10月

店舗拡張

隣接家屋を買収。料理食堂業を併業 (182平方米)

昭和19年 3月

営業停止

3月5日 戦乱激化のため営業停止令

同年

創業者逝去

3月17日 創業者大竹藤太郎氏、過労と高血圧症により永眠

同年

営業認可

3月20日 大衆食堂として営業認可

昭和20年 8月

店舗解体

8月8日 市街地強制疎開により店舗一部を (屋上庭園より) 解体しはじめる
解体作業進行中8月15日終戦

昭和23年 4月

近化経営

近化経営のスタートを切る

昭和28年 10月

法人化

10月1日 資本金100万円合資会社大和屋として発足。代表社員大竹カツ

昭和30年 2月

改装休業

一般の要望に応え食堂経営を近代化するため旧店舗を2ヶ月間休業し、大改装を行う

昭和30年 4月

新装開店

4月29日 面目を一新。レストラン大和家として新装開店

昭和35年 5月

出前廃止

5月15日 社員の質向上とプライドアップのため出前廃止にふみきる

昭栄店店頭 寺町店店内
寺町店レストラン・グリル

事業の拡大

急成長と再構築、波乱の時代の幕開け

昭和35年 12月

昭栄店開店

12月17日 三条田町1448番地 (昭栄通り) に洋菓子販売及び喫茶を開店 (130平方米)
洋菓子製造部は三条一ノ町936番地 (現調理仕込場) に設ける

昭和37年 5月

料理業廃業

5月1日 時流にそく応じた企業形態に転換するため、二階お座敷料理業を閉業

昭和37年 7月

グリル開設

料理業の閉業によって寺町店の一部をグリルに改装

昭和38年 6月

昭栄店拡張

11月3日 三条神明町 (昭栄通り) に完成した株式会社新潟名店街 (14店寄合) に出店
洋菓子の販路開拓に乗り出す

昭和39年 5月

燕店開店

5月3日 燕市仲町に洋菓子販売及び喫茶を新規開店 (66平方米)

昭和40年 8月

新工場落成

8月26日 製菓工場が工事費700万円 (付帯設備含) で三条市西本成寺3721番地に竣工
洋菓子及び冷菓の製造を開始 (200平方米)

昭和40年 9月

記念公演会

9月24日 新工場落成。東三条店開設を記念して、京都一灯園すわらじ劇園を招き、新潟日報社、三条社会福祉協議会のご後援を得て、三条市厚生福祉会館大ホールで記念講演会を主催し好評を博す (ビルマの堅琴ほか)

昭和37年春の慰安旅行
寺町店グリル

(株)ヤマトヤ発足

創業から50年。次なる挑戦へ

昭和40年 10月

東三条店開店

10月1日 三条市東三条駅前に洋菓子販売店を新規開店 (16平方米)

昭和41年

六角凧サブレー 完成

現在、新潟県三条市の代表的なお菓子となっている六角凧サブレーがこの年に完成

六角凧サブレー 完成

昭和41年 1月

やまと路刊行

1月1日 PR兼用社内報。活版印刷で発行。評判になる (紙名やまと路)

同年

雑誌掲載

業界誌月刊食堂1号店に話題の店というタイトルで当社の全貌が写真入りで紹介される

昭和41年 8月

大和寮完成

8月8日 厚生年金積立金還元融資の適用を受け、三条市門前町61番地に工費費600万円で社員寮を建設完工

昭和41年 9月

知事賞受賞

9月18日 三条市厚生福祉会館で開催された第9回新潟県菓子品評会で当社の作品が知事賞・会頭賞・理事長賞の各賞を受賞

昭和42年 4月

増資

資本金を400万に増資

同年

謝恩招待

4月18日 大和屋創業50周年記念仕入先謝恩御招待会を西大崎川竹別館で開催
市外8社市内14社御招待

ヤマトヤの歌

当時の想いを音楽に

あなたも、わたしも、みんなで甘く歌いましょう

ヤマトヤの歌 「愛のお菓子」

作詞:和田かおる/作曲:服部克彦
歌:天地総子